アメリカ生活 出産⑤ 2泊3日で充分
産まれてすぐに赤ちゃんを素肌にのせるカンガルーケアをしてもらい、その後もエピは入れた状態での胎盤処理だったのでなので痛みも感じず。
丸一日口に何もしてなかったから、
喉はからっから。
看護師が持ってきたもの‼︎‼︎
氷たくさんの水
痛み止め
水と痛み止めはわかるけど、、
クッキー🍪
その後の食事もインゲンたくさんとマッシュポテトとケーキ(スポンジケーキはほぼ毎回。アイスは適宜🍨😂)とか、にんじんたくさんとコーンとか。。
全くそそられない食事達。日本のお祝い御膳とか羨ましい〜
お友達が来てくれていたおかげで、お弁当🍱みたく色々作って旦那が一瞬帰った時に持たせてくれて、それはそれは美味しいご飯だった😌
産まれた日の夕方にはお友達とその子供達との対面、抱っこも出来て、翌日には日本に帰国になっちゃったけど、ギリギリ間に合って良かった😭
無痛分娩だったからか?産んで、4時間後くらいにはトイレにも歩いて行き、夕方くらいには帰れるか?くらい回復していた。
分担制度のアメリカ。
検温する人、ご飯運ぶ人、掃除する人、授乳の指導する人、小児科医、産婦人科医。目まぐるしく人が入ってきて覚えられないほど😅
○アメリカは、出産日に出生の記録を病院に提出。後日、出生届を受け取る(郵送)Birth Certificate。なので名前も当日まで決めとかないといけない!
○小児科医、かかりつけになる病院をあらかじめ決めて電話で予約しておく。退院後翌日、1週間後と決められた日に受診。小児科医は、決まってるかどうかを前もって産婦人科医に伝える。
○退院する時に病室にチャイルドシート(カーシート)を持参。車まで見送りあり、しっかり装着できたか確認される。
○退院時間はひとそれぞれ。(私の場合あかちゃんに黄疸が出ていたので、機械を持ち帰るか、ギリギリまで治療したので退院は、夜の10時でした)日本じゃ、考えられない😅
○退院時に渡された薬の痛み止め。頓服で渡されたのは、なんと!日本では麻薬扱いに指定されてる薬でした。(怖くて飲めない😂)
○使い捨てミルク(超便利)や使い捨て乳首。オムツや、お母さんのパッとなどたーっくさんくれました。
○入院中お願いすれば、ナースステーションでも預かってくれる。
○付き添い寝泊まりも可能。完全個室。シャワー、トイレつき。
出産後は、お世辞にもゆっくりのんびりいたいな〜という場所ではなかったので体力回復したら早く家に帰ってゆっくり寝て美味しいご飯が食べたいなーと思ったので、、、
2泊3日で充分だった‼︎‼︎
アメリカ生活 出産④旦那へその緒切る
そして朝方いきみたさも出てきて、内診に来た医師も産もう‼︎という結果
医師の指示により足台右側に旦那(半強制)、左側に助産師、真ん中に医師
こんなイメージ。
日本は、頭側に入るスペースがあるが、そもそも、旦那の立ち位置はこの位置しかない!くらい必然的に決まった場所。もはや、助産師その2くらいな扱い。
旦那は、英語もそこそこなので医師が話す言葉を通訳して励ましも入れつつ、翻訳して伝える立場だったから私的には心強かった。
いきみ出してからは3.40分くらいで産まれた!
産まれてからへその緒を切るというのは旦那にお願いされるよ!と話では聞いていが、本当にハサミ渡してきた‼︎
血を見るのも🩸ダメな旦那だからもちろん色々拒否すると思ったが、思いの外積極的でビックリしたほど。
あとで聞いたら緊張と興奮と感動で言われるがままだったらしい。
産まれる5分前くらいから真ん中にいた医師が電話し、小児科、他看護師達、多分10人くらいが部屋に入ってきて、赤ちゃんチームとお母さんケアチームみたく分かれて処置が素早く行われた。
分担制度凄すぎる!と感動した。
アメリカ生活 出産③ 余裕からの悪夢
夜中に異変は起きた。
うとうとし始めた頃、あれ?なんか足が動く気がする。。えっ?足の付け根も痛い気がする。腰も痛いような。。
と麻酔が効いていれば痛みを感じないはずが、、😭しまいには内診したりして、赤ちゃんの肩が引っかかってるから、向きを調整しましょみたく言われ、何時間かおきに体位調整。
旦那も起こして腰をさすってもらうように言うも、麻酔効いてるしーみたく寝ぼけ眼。
そして、、ふと硬膜外麻酔が繋がっているシリンジを見ると👀👀👀
もーれーてーるーーーー‼︎‼︎‼︎
旦那も慌ててナースコール。
今まで痛みが0だったのが麻酔が完全にきれて、急激な陣痛を味わう羽目に😭
麻酔薬を追加するか、また硬膜外麻酔を入れ替えるか主治医もきて相談され、、硬膜外麻酔を入れ替えた方が痛みはないという結論にいたり、硬膜外麻酔差し替え😭
その間2時間くらい😭
まだ5分間隔ぐらいの時だったと思うが、0から100みたく痛みがきたからか、もう半泣き😭腰さすってって言ってるのに肩ばっかりさする旦那にイライラしたり。とにかく痛かった😭いや、でも自然分娩だったらと考えると、ほんと、自然分娩で産んでる人凄すぎる😭
差し替えたら、嘘のように痛みはなくなり安堵。
よく、無痛分娩ていきめるの?とか出る感覚はあるの?とか聞かれるが、出る感覚はある。いきむ感覚は、先生の指示通りに踏ん張る。とにかくお尻の方に意識して踏ん張るを繰り返す。
④へ続く
アメリカ生活 出産② 無痛分娩の選択
事前の医師とのやりとりで希望することができる分娩方式。
アメリカで産むほとんどの人が無痛分娩。99.9%らしい。そもそも痛みに弱いのか、痛みをなぜあじわうのか?の意味すらわからないらしい。
日本では最近は、無痛分娩も増えてきたが、まだまだ浸透していないし、賛否あると思う。
私は俄然、無痛分娩賛成派🙋♀️
痛いの嫌い😭痛みを感じずに産めるなんて最高ー‼︎
と、迷わず希望。
アメリカでも同様に、自然分娩までの費用は保険がきくが、(会社の)無痛分娩は保険適応外。
痛くなってきたら2段階で麻酔しますと言われ、
朝に病院に着いて、夕方頃から我慢できない痛みが何分かおきに、とりあえず1段階目のお願いしとこうと思ってナースコール。
まず1段階目はフェンタニル1Aをiv (静脈内へ注射。)
😱😱😱えっ⁉️フェンタニル1A希釈なしで⁉️
驚きは隠せないけど、英語も通じないし、至って普通の顔でナースは静注。(看護師をしていたせいで気にならないようなことが気になってしまう。)
※フェンタニル とは、主に麻酔や鎮痛、疼痛緩和の目的で利用される合成オピオイドである。1996年のWHO方式がん疼痛治療法の3段階中の3段階目で用いられる強オピオイドである。麻薬及び向精神薬取締法における麻薬に指定されている。
↑という認識だったから🙄
そんなこんなで、すぐに痛みはおさまり、強い薬だしこれで暫く持つのかな〜なんて思い、携帯でメールなんてできちゃうほどだったのに、1時間くらいで「あれっ⁈⁈痛いかも。。ん?痛い」みたいな感覚がまた襲ってきて、2段階目の(最終)硬膜外麻酔(エピ)を入れてもらうようお願いしました。
ここでも、分担方式のアメリカ。硬膜外麻酔は、麻酔科専門。腕が試されやつだし、ビビったけど、ほとんど痛みもなくスッと入れてくれて、ホッとした。
夕方から寝る時間になり、、、全くまだまだ産まれる気配もなく、でも破水からは12時間以上経過。。お腹の中大丈夫なのか⁈と思いつつ。NSTも装着してるし、おしっこの管も入ってるし、痛みもエピが効いて何にもなく、、、「Good night」なんて爽やかに言って消灯😅
旦那もシャワー浴びて夕飯食べてソファーでくつろぎ。。
私も家で待ってくれているお友達や、日本の家族にLINEできる余裕さ。5分間隔くらいかなーなんて言われても痛くもないし😊
無痛分娩最高ーー‼︎
と、少しうとうとしようとした、夜中12時頃。。。
異変が、、、
③に続く。
アメリカで出産 出産の日①
私の出産に合わせ、日本からお友達とお友達の子供達がお手伝いと遊びに来てくれていた。
アメリカで迎える初めてのクリスマスとお正月を仲の良い友達達と過ごせるなんて幸せすぎた。
出来ればいる間に産まれてこないかなーっと願ってた。
遊びにきていたのもあって、毎日観光や、ショッピングに歩きに歩いた😚夜には安産に効くとスクワットをやったり。毎日がパーティーの様にはしゃぎにはしゃぎ。
妊婦とは思えないほどの行動ぷりだったと思う。
今振り返っても特に出産までつわりもほとんどなく出産直前まで好き勝手出歩けて、幸せなマタニティライフだった。と思う。
クリスマスから休暇だった旦那もお休みで、もういつ来ても‼︎という状態だった。
年が明けてすぐ、破水から私のお産は始まった。お友達に見送られ、病院に電話してから向かった。車で30分ほどのところにある病院。
着いて受付を済ませて、部屋へ。
個室で、ソファーやシャワールーム、トイレなど広々したLDR室。
飲食禁止となり、点滴が入れられた。
まだ微弱陣痛程度。これから長ーい道のりになるとは。。。
②へ続く
アメリカで出産 出産までの違い 道のり
私は、妊娠6ヶ月でアメリカに渡米。
まず、日本人クリニックへ行き診察。(日本人クリニックは、主に内科、婦人科)簡単なエコーと、産婦人科の医師を紹介してもらう。
○担当医を決めてその担当医が所属する病院での出産となる。
私の場合日本人クリニックから紹介された先生だからか?アジア系アメリカ人で、ゆっくり丁寧にわかりやすく話してくれた。
1番心配した英語も、もしわからないことがあるとすぐに通訳を通してくれる。(アメリカは他言語も多いからか、通訳システムが成り立っていて、電話で通訳を通して会話してくれる。)
通院の頻度は特に異常(高齢出産も含む)がなければ日本と変わらず。
(28週までは4週ごと。29週からは2週ごと。35週からは1週ごと。)
○エコー回数‼︎
6ヶ月で渡米した私がエコー(実際に赤ちゃんが見えるやつ)をしたのは2回。他は心音だけ聞くドップラー法。
少なさに心配をする人も多々いるが、アメリカのエコーに私は感動!(看護師の視点)
感動したポイントは検査技師が入念にやる。(40分くらい)一つ一つの部位を入念にみて異常があった場合は、エコー回数は増える。日本は、基本産科医がエコーも担当する。
アメリカは、分担制度がしっかりしているなーと感心した。
エコーは、検査技師
産まれる時に関わるのは、産婦人科医
産んだ後の赤ちゃん、小児科医
産んだ後のお母さん、産婦人科医
そして、大概の病院ではホスピタルツアーというのをやっていて産む前に病院の見学をしてそこで産みます!みたいな書類を出す。
このホスピタルツアーは、両親揃って行く人がほとんど。
会社にもよると思うが、アメリカの会社は、出産は夫婦でと考えるのが当たり前。通院やホスピタルツアーは、両親で来ている人が多い。
旦那の会社も後押ししてくれる上司だったため、通院、ホスピタルツアーの付き添いでの休み、出産後2週間のお休みなど快くくれた。(ここも日本とは大きく違う‼︎‼︎)
ホスピタルツアーでは、陣痛がきたらどの手順で進むのか、産む部屋の間取り、産んだ後の部屋などなどを見学する。他にもホームページから、沐浴や新生児の心肺蘇生方法などなど夫婦で参加できるプログラムが用意してある。
○産む部屋も産んだ後も基本個室。産む部屋は、寝るベッドがお産ベッドにも変化するやつ。(LDR分娩。日本にもやっているところはある。)
※LDRとは、陣痛(Labor)、分娩(Delivery)、回復(Recovery)の頭文字をとったもので、陣痛室・分娩室・回復室が一体となった個室を指す。 LDR室、陣痛分娩室、居室型分娩室ともいう。 陣痛から分娩、回復期まで、移動することなく、一つのベッド、一つの個室で過ごすことができる。
○体重管理
想像通り😂アメリカではゆっるゆる。増えても増えすぎても😂何にも言われない。基本日本人体型なんてアメリカ人からしたら小学生みたいな感じらしい。嘘みたいだけどほんと。
体重計に乗る時もコート着ててもそのままとか😅
8ヶ月とかになっても気づかれなかったり😂
○アメリカの妊婦服は、体のラインに沿った服が多いが、日本は、ゆったりめ。
○母子手帳
欲しければ領事館とかでもらえるらしいけど、日本のように細かくはない😅
私は日本でもらって、ゆるーく、自分で書いた。
○看護師
ガム噛んで、刺青入って、ピアスあけて指輪なんかしてる人もいて🤪
色々な違いを見れたり体験して、
アメリカの医療に触れる貴重な経験ができた😁
本場アメリカのベビーシャワー
名前だけは聞いたことあったけど、実際にやったことも行ったこともなかった。
ただ華やかなイメージと楽しそうなイメージだけ😂
妊娠8.9ヶ月頃に親しい人を招いて子供が産まれる前祝い的なパーティー。
日本では、産まれた無事を祝い出産後にすることが多いが、アメリカは産んだ後は大変だからというのも理由の一つらしい。
そしてお祝いの仕方も合理的😝
欲しいものリスト(target、ベビザラス、Walmartなどなど)を自分で作る。(実際にお店に行ってバーコードリーダーを使い、商品を見ながらも決められるし、インターネットからも登録できる。(レジストというらしい。)値段はなるべく偏りなく幅を持たせる。
お祝いに来る人は自分の予算からレジストされた物から選びプレゼントする。レジストの中じゃなかった場合もプレゼントレシートをもらい、プレゼントに張り付けておくと、もし、違う物が良かった場合値段相応なものと交換できる😅
↑このプレゼント🎁でアメリカって合理的だなーって思ったし、文化の違いを感じた。
でもベビー用品とかは、何をプレゼントすればいいのか?持ってるものとかぶらないか?とか男の人が選ぶ場合は尚更、何をあげていいか悩む事も多くありそうなのでレジストの中から選ぶってのは良い方法なのかも?と思った。
実際に私も9カ月初期くらいに、2回別々のグループに開いてもらった。
ママコミュニティでは、30人くらいが集まりオムツケーキ🎂のプレゼントやポットラック、ベビーに関するクイズなどでのパーティー。
二つ目は旦那さんの会社のグループの方が開いてくれたベビーシャワー。カフェでランチしながら、レジストしたプレゼント🎁をもらった。
2回もベビーシャワーを開いてもらって幸せな時間だった😌
二つ目のベビーシャワーは、渡米して2カ月半。旦那の会社のグループの方はほぼアメリカ人😅全く話せない私。。きっとこの幸せーを言葉、表現として全く表せていなかったな。と今振り返り反省する😅
ベビーシャワー後はお礼に『Thank you』カードを書いて一人一人に送る😌
終了して数日後。幸せー!を表現できなかった私は、このThank youカードに一人一人思いを込めて書いて渡すのが精一杯だった。